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 ダ・ヴィンチのソフトカバー版の発売直後に、一度読んでいた。大槻ケンヂの著作と言うと他にはオモイデ教とステーシーズ(ホラー文庫のヤツ)くらいしか読んでおらず、別に音楽活動についてファンというわけでもなかった2007年になんで安くないあれを買ったのか定かではないけれども、えらく重い衝撃を受けたことを覚えている。

 筋肉少女帯~特撮あたりまでの曲を若干量齧った今になり改めて読み返すと、全編にわたって過去の自作(作詞的な意味で)のセルフパロディが詰め込まれている作品で、これだけ聞くと歌手の手慰みにしか見えない。だけども何かが違う。プロットと呼べるようなプロットは、読んでいる間にあるかどうか怪しくなる。だが無暗に面白い。

 ライトノベルという概念はキャラクタ―小説だと言いきった人間がいて、そういう意味ではこれもライトノベルに分類されなければならないのだろうが、そうしてしまうことにためらいを覚える一作と言いたい。主役級も端役も、キャラクターは意味もなく濃く、読んでいるとバッドトリップしそうになる勢いだが、これはキャラクタ―小説ではない。今あるものに、屈折したけれども曲がっていない人間たちからの、あけすけな問題意識じみたものを道化て放り出した(作中でも自己言及されていた気がする)代物。とでも言いたいか。なんというか、物語の要請に応じてキャラクターを配置したのでなくて、キャラクターを好き放題に動かしたらこの物語になっていったのだ、的な。
 ひとりでごっこ遊びを、しかも大まじめにやって、大加速の果てにたどりついた舞台劇。のような感じというと近いだろうか。おそらく(大槻ケンヂという人間の軌跡を全くといっていいほど知らないのでなんともいえないところもあるが)盛大な私小説としてのカラーも含めながら、あるいはそれだからこそ、強烈に胸を衝くものがある。年をとったからか、読みながら臆面もなく涙ぐんでしまったりしたのだ僕は。

 受けた衝撃の中身をつらつらと考えるに、むかし、僕はこんなものを書きたいと思っていたのだ。ロードス島に触発され、スレイヤーズに「こんなんでもいいんだ!」と首肯し、あとは児童文学ばかりむさぼるように読んでいた、似非ブンガク少年の成れの果ては、確かにこんな物語を書いてみたいと思っていた。

 泣きそうになったので筆を置く。
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